祖父が亡くなってから、しばらく経ったある日のこと。遺品を整理していた私たちは、書斎の隅で、ずっしりと重い、古びた手提げ金庫を見つけました。錆び付いたダイヤルと、小さな鍵穴。もちろん、誰もその開け方を知りません。父も、「親父が、何か大事なものを入れていたようだが、結局、開けずじまいだったな」と、遠い目をして言うだけでした。私たちは、この開かずの金庫を、どうすべきか悩みました。このまま、鉄の塊として処分してしまうのか。それとも、中身を確かめてみるべきか。好奇心と、そして、祖父の生きた証に触れたいという思いから、私たちは、プロの鍵屋さんに、この金庫の開錠を依頼することにしました。電話で事情を話すと、ベテランらしき、落ち着いた声の鍵師が、すぐに駆けつけてくれました。彼は、古びた金庫を一目見るなり、「ほう、これは良い仕事をしていますね。昭和の良い時代の金庫だ」と、嬉しそうに呟きました。そして、聴診器のような道具を取り出すでもなく、ただ、ダイヤルに指をかけ、全神経を集中させて、ゆっくりと、そして静かに、回し始めました。時折、かすかに耳を澄ませるような仕草を見せながら。それは、まるで、金庫と対話しているかのような、荘厳で、そして神秘的な光景でした。長い時間に感じられましたが、おそらく、15分ほど経った頃でしょうか。鍵師は、ふっと息を吐くと、「開きますよ」と、静かに言いました。そして、最後のシリンダーキーを、特殊な工具で巧みに操作すると、「カチャリ」という、乾いた、しかし、どこか懐かしい音が、部屋に響き渡ったのです。息を飲んで、重い蓋を開けると、その中には、分厚い預金通帳や、土地の権利書といった、現実的な遺産と共に、一枚の、大切そうに油紙に包まれた、セピア色の写真が収められていました。そこに写っていたのは、まだ若く、はにかんだような笑顔の、祖父と、そして、私たちの知らない、美しい女性の姿でした。父も、私も、言葉を失いました。開かずの金庫が、数十年の時を超えて、私たちに見せてくれたのは、寡黙だった祖父の、生涯、胸の奥に秘められていた、甘く、そして切ない、青春の記憶だったのです。
祖父の遺品、開かない金庫に眠っていたもの